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coconoe 『或る日のhalo』僕らを回復させる音楽

以前とあるTV番組で詩人の谷川俊太郎さんにインタビュアーがこう問いかけていました。

「世の中に詩は必要だと思いますか?」と。

天才詩人になんてこと聞くんだ!と思ったけど、それに対する谷川俊太郎さんの答えが面白くて、今でも印象に残っています。

その答えとは

「あるべきもクソもなくて。もう最初から存在しているんですよ。

詩情=ポエジーは人間が生まれた時に既に感じていた。それは言語には出来なかったかもしれない。

それを言語にするのが詩人の役目だと思っているんですけどね。」

というもの。

なるほど、詩情=ポエジーは最初から既にそこにあったのだ、と。

面白いですね。

路地の片隅で人知れず咲く花の周りにも、どこかの山のまだ誰の目にも触れられたことに無い木々の根本にも、詩情=ポエジーは既に漂っていて、誰かに発見され、感じ取られ、言葉にされるのを待っているのかもしれない。

そう考えると面白いですね。そして、なんとなく分かる気がします。

僕らは時おり旅に出ます。

旅先でその土地に触れ、そこにあった暮らしの営みによって堆積した時間の厚みのようなものに触れたり、日頃自分が属している社会的な役割から逃がれ、大地や植物や虫たちの意識に触れることで魂の洗濯をすることを本能的に求めています。

それは谷川さんの言葉を借りれば、その土地に漂っている詩情=ポエジーに触れに行っているということになるのかもしれません。

そしてどうやらこのブログの読者さんには、そのような詩情=ポエジーに触れる時間が普通の人よりもたくさん必要な方が多くいらっしゃるようなのです。

経済中心に回っている世界のリアリティーから遠く離れて、時おり違った出所から来る栄養をもらわないと、何かが枯渇して萎れてしまうようなのです。

大好きな場所に漂っている雰囲気や、ある本の文章に触れると、すっと呼吸が楽になり自分が取り戻されていく感じがするのです、と皆さん控えめな笑顔でそうおっしゃいます。

そして、音楽というものもまた気前よく僕らにその栄養を与え、助けてくれる心強い味方です。

ある種の音楽家は1粒1粒の音が持つフィーリングを繊細に織りなし、独特の詩情を持った世界を生み出します。

僕らの求めて止まないあの感覚を、大好物を、日常にまみれた部屋にいようとも、満員の電車に乗っていようとも、気前よく作り出し与えてくれるのです。

今日はそんな確かな仕事をされている僕のお友達の音楽家を紹介します。

まずは実際に聴いてみてください。

coconoe『或る日のhalo』

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エレクトロニカやアンビエントといったジャンルの音楽にはいくつかの実際的な作用があるように感じています。

それは普段暮らしている日常の世俗的なリアリティを離れて「ここではない何処か」に連れて行ってくれることであったり、

使い馴れて固定化してしまった僕らの知覚や感性や認知システムをリセットして世界の手触りを回復させてくれることだったり、

社会生活の中で得られるものとは違った出所から来る精神的な栄養(それはとても些細で目に見えないけれども僕らの内側が求めて止まないもの)を与えてくれて、自分の心にもう一度瑞々しさと弾力を取り戻してくれることだったりします。

coconoeの楽曲たちはそれに成功しています。

とても無垢で温かく、気前よく僕らにそれらを与えてくれます。

普段の社会生活のあれやこれやで心が重たくなってしまった時には、暗い部屋で一人ゆったりとこの曲たちに身を委ねてみてください。

音の一粒一粒がただ心地よくて優しくて、

心の奥のずっと触れてほしかった部分を(それでいて自分でも気づいて居なかった部分を)そっと撫でてもらったような、そんな特別な音楽体験となるはずです。


 

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また来年2月に京都で映像作家とのコラボでライブをされるそうです。(僕も行きます)
良かった京都観光と共にどうぞ。
「coconoe x Akinori UENO Miki 『音のかけら』と『うごく絵』展」 in KYOTO 2020年2月16日(日)

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