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仕事で消耗し切っている時に見直して欲しいこと

皆さん、こんにちは。
カウンセラーの佐原です。

今日は、最近よくご相談を受ける「仕事」についてお話しします。

仕事で忙殺されて、本当に殺人的に忙しくてギリギリの状態になっている方がここ数年は特に多くなってきているように感じます。

話を聞いていると、それはどう考えてもマズイでしょ!となって、ストップ!とこちらが言わざるを得ないような状況の方もいらっしゃいます。

そこで今日は、最初に忙しさの構造的な問題について触れたいと思うのですが、ちょっと小難しい話になってしまって、あまり面白くないかもしれません(僕は面白いと思うのですが(笑))

なんとかついて来てくださいね。

では、どうぞ。

そもそも私達の生産性は低くない

最近は働き方改革の名のもとに、「もっと効率を良くして生産性を高めて残業を無くそう!」といった言葉を聞くことが多くなってきました。

その時、根拠として出てくるのが、「日本人の生産性が先進国の中で最下位だ」というお話です。

ここでなんとなくイメージされているのは、

日本人は上司に気を遣って仕事が終わっても定時で帰るのを遠慮したり、ダラダラ仕事をすることで時間あたりの生産性が低くなっている。

だからもっと効率良く仕事をしましょう、というような漠然としたイメージです。

実際、データ的にも日本人の生産性が先進国最下位なんだから、まだまだ伸びしろがありますよ!と。

でも、それって本当なのでしょうか?

私達日本人はそんなにダラダラと仕事をしているでしょうか?

例えば、以前日本のマクドナルドの店員のオペレーションが早すぎてもはや神技だと、外国人が驚きと共にその様子をyoutubeにアップし、世界中から驚きのコメントを集めていました。

対する海外では、税関でもコーラの飲みながらダラダラと仕事をしていたりしますが、それでも本当に私達の働き方は海外と比べて生産性が低く、もっと伸びしろがあるのでしょうか?

実際はそんなことはありません。

ここで言う「生産性が先進国で最下位」という言葉にはある誤解が含まれているのです。

生産性というものには実際には「物的生産性」と「付加価値生産性」という2種類があり、その2つを知ってか知らずかは混同して使うことでこういった間違っった認識が生まれているのです。(ここついて来て!)

例えばこういう話です。

日本人のAさんとイタリア人のBさんがカバン職人としてバッグを作っているとしましょう。

日本人のAさんは1時間に2つのカバンを作ることができます。対するイタリア人のBさんはゆったりとしていて1時間に1つしか作ることができません。

これが物的生産性です。

ここでは日本人のAさんの方がイタリア人のBさんより物的生産性は2倍高いということになります。それだけ無駄なく集中力高く仕事をしているということです。

ところが物を売る段階になると話が変わってきます。

日本人のAさんの作ったカバンは2万円で売る商品ですが、イタリア人の作っていたカバンはヴィトンのバッグで、売価は40万円です。

つまり、日本人のAさんは1時間に2つのバッグを作れるので、2×2万円で、4万円の価値を生み出しましたが、

イタリア人のBさんは1つしか作れていないにも関わらず1時間に40万円を生み出していたのです。

これが付加価値生産性です。

つまり日本人Aさんの付加価値生産性は悲しいことに、イタリア人Bさんの10分の1しか無いということです。

「日本人の生産性は先進国で最下位」と言う時の生産性は「付加価値生産性」の話でありながら、だからもっと無駄を無くせるはずです!と言う時には「物的生産性」の話にすり替えわっています。

で、もっと集中して効率よく働こう!という話になっているのです。

日本人はもっと伸びしろありますよ! ほら、先進国と比べても最下位ですよ。もっと効率よく働いて残業も減らしましょう!と。

いやいや、私達めっちゃ働いてますけど? イタリア人の2倍のバッグ作ってますけど? ってなりますせん?(イタリア人は例え話ですけど(笑))

そういう話なのです。

ここで大切なのは、「日本人の生産性が先進国で最下位」と言う時に使われている生産性とは付加価値生産性のことで、私達の働き方の問題ではなく、経営サイドのブランド戦略やマーケティング戦略、ビジネスモデルの問題だということです。

それを「生産性」ということで話をすり替えて、もっと生産性を高めよう!といったスローガンの元、すでに限界まで酷使している労働力を更に極限まで絞り出すという詐術が行われています。

無茶ですよね…。

だから、世の中の「もっと生産性高く!」とか「残業代ゼロに!」という声は、もう少し距離を取って、シラーっと話半分で聞いていて欲しいのです。

それって経営者側の問題じゃない?という視点も採用して欲しいのです。

生産性向上の結果得たもの

このテーマで今でも印象に残っているテレビ番組があります。

以前TV番組「ガイアの夜明け」で、紳士服店の残業ゼロの取り組みが取材されていました。

営業成績の良い若手スタッフが取り上げられ、最初は彼の顧客思いの粘り強い接客がクローズアップされました。

明らかに切れ者の、仕事ができるタイプの若者です。

でも、「もっと時間を減らそう! 残業ゼロを目指そう! 働き方改革だ!」と本社から言われ、それを意識した結果、

お客さん目線の接客ができなくなり、売上も下がり、やがてはやっていることに疑問を抱き、彼は明らかに不満な表情になっていきます。

そしてついには「話があります」と上司を別室に呼び出し、詰め寄ります。

「そこまでやる意味って、何なんですかね?」と。

そう言われた上司も答えに窮し、「難しいこと聞くなぁ…」と唸って、考え込んでしまいました。

そして、「全社的な方針」と「立場」と、なんとも苦しい答えを返したのでした。

そして、それでも残業ゼロに向けてまだ工夫の余地はあるのではないか?と、お互いに頑張ります。

別々にやっていた作業を同時並行で進めたり、店内の移動を小走りにしたり、狂おしいほどの努力です。

そして、そういった狂おしい努力の結果、実際に目標となっていた残業時間内に仕事をやり終えることができたのです。

残業時間はなんと前年同月比の10分の1に減少させ、しかも売上は110%です。

これは凄い。確かに生産性高まっていますね。

そこには自分の限界に挑戦するアスリートを見たようなある種の感動がありました。やっぱり人間ってやればできるんだ、と。

ところが、番組の最後のその若手社員のインタビューが、この感動を吹き飛ばし、大きな疑問を残すことになります。

彼は自宅で缶酎ハイを飲みながらインタビューに答えてこんな風に言ったのです。

「俺の仕事量が残業無しで出来る訳がないと思ってたんですよ。でも、それができたんですよね…。」そこにはそれを達成したことの誇りのようなものが感じられました。

そして、こう続きます。

「でも残業が当たり前の時代と比べて、人生設計や貯金がしずらくなりました…」と。

え…?

そしてここでナレーションが入ります。

「残業を減らすことの意義を見出した◯◯さん。でも一方で手取りの減少など、もう一方の現実にも気付かされたようです。」

…(終了)て。

えー。

残業代ゼロになったことで手取りも減り貯金もできず、人生設計もやりにくくなり、残ったのは店舗で小走りするくらい忙しくなった日々と、消耗しきって缶酎ハイを飲むくらいしか余力の無いプラーベートだというお話。

どうですか、みなさん。

これ…、より無駄なく搾取されるようになっただけですやん…?

ってなりません?

これ、働き方改革。

他にも「1億総活躍時代」とは、主婦も老人も残っている労働力はすべて企業が吸い上げることで、労働人口を増やし、それによって労働単価を下げるぞ!ってことですね。

周りみんなができているのに…を疑ってみる

とまあ、ここまで書いて、経営者が搾取して私腹を肥やしてるぞ!という結論はとても分かりやすいのですが、

実際にはそういう分かりやすい悪者がいるわけではなく、グローバリズムによって月収3万円で働く途上国の労働者と、同じフィールドで勝負しないといけなくなったことの結果です。

だから、起こっていることを恨んでも仕方が無いのです。

でも、こういった時代、かなり狂ったことが求めらている可能性があるということは知っておいてくださいね。「もっとできるでしょ!」という会社側の言葉も、話半分で聞いてくださいね。

HSPや内向型のこのブログの読者さんは、どうしても良い人なので、環境がおかしい!とはならずに、自分がダメだ…となるんですね。素敵な性格なのですが。

「周りの人ができているだから、できていない自分がダメなんだ…。」と自分を追い詰めがちです。

でも、そもそも、普通の人にはとても太刀打ちできない仕事量のために、普通の人は次々と辞めて行って、残ったのは情報処理の超人のような人とストレス耐性がやたらと高い猛者みたいな人と、人の気持ちを全く読まず自分の仕事量を減らすことに特化したマシーンみたいな人だけが残った結果、「周りの人はみんなできるのに、私だけ…」という環境が出来上がっているのかもしれません。

採用された自分のポジションがどういう経緯でできたものなのかも意識してみてください。

更に言うと、情報処理のスピードや手際の良さなどは、内向型と外向型で脳の使い方が違う結果、かなりスピードの違いが出ますから、凄い人と比較しても仕方が無いのです。

時には負けることの勇気も必要です。

人生を使い果たさないだろうか?

もちろん人は訓練すればある程度のことはできるようになるものです。

先の洋服店の店員のように、とてもできるとは思えなかった仕事量も訓練を積めばできるようになるかもしれません。

それによって危うくなっていた自尊心は取り戻せるかもしれません。

でも、ここでの最大のリスクはそういった挑戦に熱中するあまり、自分の人生を使い果たしてしまうことです。

皆が挑戦している世界に入ると、その勝負は圧倒的なリアリティを持って私達を巻き込んで行きます。

勝手に気持ちにスイッチが入り、冷静に考えれば無茶な努力も皆が真剣に取り組んでいると、それに取り組むのが当たり前に思えるし、限界を越えて達成したときにはなにものにも代えがたい充実感を得るものです。

でもそれはある種の麻薬のようなもので、そうやって生産性向上のゲームに熱中するあまり、ふと我に返るとここ数年は仕事しか無かったな…。

プライベートで恋人を見つける時間も何かを体験する時間も読書して教養を深める時間も誰かとの人間関係を深める時間もすべて仕事に吸い上げられてしまっていたな…となっていないか、

ときには距離を取って自分の人生を俯瞰して見てみましょう。

人のせいにする思考実験をしよう

とまあ、好き書いてきましたが、もちろん社員のライフワークバランスの向上のために、給料を上げつつ生産性向上を目指す会社もありますので、一概にすべてが搾取的なグローバル資本主義に向かっているとは言いません。

ただ、HSPや内向型の人は、自分で自覚している以上に心が善良で、周りに影響されやすく、物事を自分の問題だと捉えやすい傾向があることを自覚してくださいね。

ですので時には「これ、私悪くなくない?」とか、「これって経営の問題じゃない?」と、人のせいにしてみる思考実験をして欲しいのです。

そして、どこまでが自分の問題でどこからが自分以外の「せい」なのかをしっかりと明確にして、心のなかに線を引く訓練をしましょう。

そしてその際には自分の「性質」というものも無理に変えるものではなく、尊重するものとして考慮してくださいね。

今必死になって身を削っている日々の仕事も、本当はそこまでやる必要の無いことなのかもしれません。

ここで無理ならどこに行っても無理だ!と頑張りの中にハマってしまっていた人が、意を決して再選択して違う場所に身を置いてみると、

今までの悩みや苦労は何だったんだと思うほど、スムーズに人生が動き出した、なんて話も多いものです。

仕事の使命感に自分が酷使され尽くすことの快感を否定するつもりはありませんし、どちらかというと人生に一回はそういうがむしゃらな時間を過ごしてほしいなと思う方ですが、

でもそのがむしゃらが未来にもずっと続いていくものだとしたら、努力によってではなく新たな仕組みや新たな仕事を再選択することによって越えていく過大なのかもしれません。

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