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繊細な世界と響き合う喜び

日曜日の晴天が気持ちよかったですね。

日本中の人々が休日朝の期待と秋晴れの清々しさに心をウキウキとさせていたのでしょう。
僕は仕事なのにも関わらず、部屋の日だまりの中で瞑想しているといつになく大きな幸福感に包まれました。

自分はこういう静かな幸福感を求めているんだなとつくづく実感し、そしてそれは名前も知らない大多数の人々が幸せで満ち足りていないと味わえないものなんだなと思い知ります。

また自分の感覚も、季節や日曜の集合意識と共鳴しあえるくらいに解像度高く繊細なものに保っていることも大切ですね。

例えばネット動画で刺激の強い情報に触れたり、投資で大きなお金を動かしたりすると、明らかに感覚の解像度が低くなり、飼ってるイモリやドジョウや植物を見ている時の繊細な喜びに意識を合わせづらくなるのが分かります。

現実が分厚い膜の向こう側にあるような、無感覚に陥ります。

でも投資のみならず多くの人にとって仕事をすることは、その分厚い膜をまとうことなのかもしれません。

それはそれで決して悪いことではありませんし、時にはもっと頑丈で分厚い膜が欲しいものだと自分の膜の頼りなさに不安を覚えもしまsが、

一方で、少なくとも週に1回は(理想を言うと毎日数時間は)しっかりとその膜を脱いで解像度を極限まで細かく繊細にして、太陽や月や自然の仲間たちが与えてくれている祝福を味わい受け取れる自分に戻したいものです。

膜が厚くなりすぎて、解像度がガバガバに開いたままになってしまうと、大味なものしか受け取れなくなってしまいます。

そして沢山の強い刺激や情報を与えることで解像度の開ききった人を量産しては大きな物を売りつけてお金を奪っていくというのが、現在の資本主義社会の残酷な側面でもあります。

時には刺激からしっかり距離を取って、天気や草花と響き合えるくらいの解像度へと感覚を戻すことをしてくださいね。

外がうるささは止む気配なく不安や欲望を煽ってきていますが、それでも静かできめ細やかな解像度でしか捉えられない無口な者たちの世界の優しさと豊かさに今もずっと魅了され続けています。

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