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パワフルな自信を育むための10の方向性

みなさん、こんにちは。カウンセラーの佐原です。

お久しぶりですね。

気づけば10月も残りわずか。2018年の終わりも見えてきましたが、みなさんはお元気にされていますか。

日々ご機嫌で過ごされていたら幸いです。

今日は日々のカウンセリングの取り組みの気付きから、「自信を育むにはどうすれば良いか?」というテーマでお届けします。

カウンセリング(心理療法)をやっていて一番多いご相談が、もっと自信を持ちたい、というものです。

おそらくここのブログの読者さんの多くもそうではないでしょうか。

私達の陥る生きづらさをHSPや内向型、エンパス、最近ではシゾイドパーソナリティなどと、様々な名称でカテゴライズすることはできますが、

結局のところ何が欲しいかと問われると、

自信を持って心地よく人と関わり、社会をたくましく渡り歩いていくことができたらどんなに良いだろうかと、誰もが多かれ少なかれそう望んでいらっしゃるように思います。

この「自信」とは、「自己重要感」と言い換えてもよいし、「自己肯定感」と言っても良いです。また「自尊感情」あるいは「高いセルフイメージ」と表現されることもあります。

要するに、自分というものには素晴らしい価値があると確信していられる度合いですね。

自分には価値があるから、この幸せを受け取るに値する。

この発言を聞いてもらうに値する。

この人のパートナーでいることに値する。

このグループで歓迎されるに値する。

そう思える感覚のことです。

この感覚さえ揺るぎなく私達を支えてくれたなら、日々をどれほど楽に生きて行けるでしょうか。

どれだけ世界が安心に満ち、行動範囲が広がって行くでしょうか。

セラピーを通じてクライアントさんの人生を紐解いていくと、人は自分の持つ才能や収入以上に、この自尊感情の大小によってこそ、幸福や成功の度合いが決定付けられていることに気付かされます。

だから親としての私は、子供に与えられるものの最上のものとして、この自信(自尊感情)を捉えています。

ではそれほど大切な、この自尊感情。自信。

それはどうやったら拡大するのでしょうか。

自信が無い。自己否定が強い。

そんな自分は、どうすれば自信を回復できるのでしょうか。

方法は?

心理療法の技法は?

それは、

毎朝、洗面台の前に立ち、鏡に映る自分自身に向かってニッコリ微笑んで「大好き!」と唱えることです…。

ええ…、分かります。

分かりますとも。

そんなことできるメンタルあったら、最初から悩んでないわ!と。

そういうアメリカ人っぽいテイストのものを求めてるんじゃない!と。

そうですね。

そこでここではより根本的に、かつ本気で、自信を手に入れようとするとどこを見ていけば良いのか。

実際の臨床の現場で心理療法家はどこを見ているのか?という視点をご紹介しますね。

ただ、まとめてみると結構多くありました。その数10に及びます。

自信というものは、それほど多面的に育まれていくものなのですね。

自分を振り返る着眼点としてとても役立つと思います。

自信や自尊感情を育むために、自分にとっては今どこがポイントになるのか、見つけていただけると幸いです。

また、10の内4までは専門的な対面のセラピーでなくては扱いが難しいと思いますが、それ以降はお1人ででも意識して高めて行くことができます。

それでは、見ていきましょう。

自信を回復するためにチェックすべき10のポイント

 

カウンセリングに来られたクライアントさんが「もっと自分に自信を持ちたい」とおっしゃった場合、そもそもどこで自信を失ったのか? 自分というものが価値がないと学習したのはいつなのか?誰との関係においてなのか?と探って行きます。

ということで、自信を取り戻すための最初に見ないといけないのは、以下です。

1)父や母はあなたのことを大切な存在だと扱ったか?

家族の関係性のなかで、自分は必要とされ価値のあるものだとされたか。それを感じ取れるだけの十分な愛情を受けたか。

それを見て、そこに問題があれば、それをセラピーの中で解消していきます。

過去の感情処理をして、無条件の愛情を身体レベルに刷り込んでいきます。

セラピーを受けに来られるクライアントさんの場合は、このレベルをテーマにすることが最も多くなります。

2)過去にトラウマ体験がないか?

次に見ないといけないのは、子供の頃のいじめや仲間はずれなど、トラウマ体験が無いか?です。

こういった体験から、「私はダメな人間」「人から歓迎されない」と無意識に学習しているケースが多いものです。

そして当時感じた恐怖のエネルギーが体の筋肉に残っているので、考え方をいくらポジティブに変えようにも体が勝手に怯えて尻込みしてしまって、人と上手く関われなくなっています。

専門的なトラウマ処理が必要なケースです。

3)両親を良きものとして受け取れているか?

このテーマは盲点になりやすいものです。

例えば自分の父親がだらしなくて下品で、心の底から軽蔑していたとしましょう。そうするとその軽蔑している本人は自信を著しく失っています。

なぜなら無意識的には「自分」とは父と母の生命を半分ずつ受け取った存在であり、父を恥ずべきものと思うならば、自分の半分も良くないものとして恥じることになるからです。

たとえ自分は父のようには絶対にならない!と決めて反面教師にして生きてきたとしても、(その努力はとても尊いものですが)心の奥底では自分の半分に否定のエネルギーを送っています。

このテーマと向き合い、だらしなくしか生きられなかった父に寄り添い、父を良きものとして再度受け取り敬意を取り戻すと、社会的なステータスや成果だけでは決して得ることのない揺るぎない自信を手に入れることができます。

自分に流れている命への尊敬。

それが私達の自信の土台となります。

これを取り戻すために、どうやら私達は、「両親を良きものとして受け取る」というテーマを避けて通ることはできないようです。

4)家系全体が持つ自己否定を背負っていないか?

「私なんて…。」「滅相もありません…。」

そんな日本人特有の謙遜や自己否定は、決して私達個人の養育歴だけによって育まれたものではなく、先祖代々の思いや信念も私達の無意識に入っています。

PCを買った時からプリインストールされたOSのようなもので、私達が何かを経験から学ぶ前から、それはすでにインソトールされていて、影響を及ぼしているのです。

セラピーで見ていくと、特に田舎で代々農家をしてきたような家系には、周りの目を気にして、出過ぎたことをしない、そして人生は苦労する場所だから慎ましく生きて、決して幸せを求めない。

そんな自己処罰的な耐えるエネルギーが多く残っているようです。

そのエネルギーは、場合によっては(あまりに苦しんでいるご先祖が立ち現れる場合は)解消し、場合によっては敬意を払って頭をさげるて、影響を良きものに変えることができます。

そうすることで今を生きる私達は、先人たちの苦労や自己否定とは違った人生を選ぶことができます。

ご先祖の誰も、子孫が自分たちと同じ苦労をすることは望んでいません。

そのご先祖様の親心を受取る時、自分を良きものとして幸せに生きることが、ご先祖様の耐えたしのいだ苦労に意味を与えることなのだと知り、心が開放されるのです。

以上、この辺りまでが心理療法で解消するテーマで、ここからは普通のカウンセリングでお話するような、心理教育の領域になります。

5)過去にやらかしたことの罪悪感が未処理になっていないか?

人は生きていると、穴があったら入りたいような失敗をやらかしているものです。

あの時、私が助けてあげるべきだったのに、目を背けてしまった。

借りたままのお金を返していない。

約束を破ったままになっている。など。

そんな過去が実は無意識に私達の自尊心を奪い続けています。

それらにしっかりと向き合い、過去の感情処理を行い、学びに変え、そして必要であれば実際に行動を起こし、相手に謝る。

そうすることで、私達は腹の底から正々堂々とした感覚を回復させることができ、

これまで穴が開いてダダ漏れだった自尊感情の器は修復され、健全な自尊心が貯まるようになります。

6)日々、自分の真心の声に従い、自分との約束を守れているか?

自尊感情というものは実は日々、高まったり低下したりしています。

自分の内には「誠」ともいうべき真心の自分がいて、そこは常に気高い自分への在り方を示しています。

レジで気持ちのよい接客を受けた時に、「気持ちの良い接客ですね。」と一言感謝を伝えたくなった。

でも恥ずかしいから言わない。

そうやって誠を裏切ることで、自尊心はほんの少しだけ低下します。

逆に内なる思いに従って声を発すると、緊張して声は上ずったとしても帰り道、腹の底から溢れるような感情がごうごうと溢れてきます。

自分を誇りたくなるような褒めたくなるようなピリピリする感情。

そう。それが自尊感情です。

自尊感情というものは、決して癒し一辺倒で得られるものではなく、勇気と行動によって日々勝ち取るべきものでもあります。

愛する人に勇気を持って愛を伝え、間違っている人には嫌われても注意をする。

そういった行動が、日々の自尊感情を育てていってくれます。

自信の獲得には常に勇気がいるのです。これは癒やし指向の心理の世界では忘れられがちな点です。

7)自分への声がけはポジティブなものになっているか?

さあ、来ました。最初に冗談交じりでお伝えした、鏡に映った自分を褒めるというようなセルフヘルプ系の本に出てくる技法も、1〜6をしっかり処理したこの段階までくるとようやく機能するようになります。

何かが上手く行った時に自分を褒めたり、逆に失敗した時に自分を慰めたり励ましたり、そうやって自分への接し方を優しくポジティブに変えることが、抵抗なくできるようになります。

あなたが自分にかける優しい言葉は、大地が水を吸うように心に吸収されて行き、やがては力強い自己肯定感となって芽吹いてくれます。

自分の潜在意識とも仲良しになり、ちょっとした困難なら自分の潜在意識がなんとかしてくれるだろうと、本当の意味で自分を信頼できるようになります。

ここまで来たら、かなり自尊心が高い人となっています。前進からポジティブな雰囲気を醸し出しているはずです。

普通に生きていくにはここまででも十分に幸せですが、もしお望みであればまだその先があります。

8)目標を達成して経験を積むことで自己価値を上げる

これは人によっては自信を得るために最初にやることです。

自分を綺麗に着飾ったり、勉強を頑張って良い大学に入ったり、資格を取ったり、仕事を頑張って収入を上げたり。

外側の要因ですが、こうやって努力して達成したことももちろん自信になりますし、綺麗な自分、年収が高い自分というステータスも自信を支えてくれます。

また、当たり前ですが、頑張って難しい課題をクリアする経験は自信になりますよね。

世の中的にはこれこそが自信を得るための王道です。

ただこれまで見てきたような内的な問題が解決できていないと、いくらステータスを積み上げても経験を積んでも内的には空虚で、外側だけをステータスのヨロイで固めたよう近寄りがたい人になってしまう恐れがあります。

人間関係でも他者をマウンティングして自分の優位性を確認しなければいられないとしたら、やはり1〜7で見てきたような本質的な問題を見ていく必要があります。

9)周りの人への奉仕の量を増やし、良い影響力を拡大していく

相手に何か良きものを与える。仕事を通じて社会に貢献する。子供を生んで育て命の流れに貢献する。そういった営みは私達を、

私的な自分から公的な自分へと拡張させ、揺るぎない力に自分を委ねていくような、新たな境地へと連れて行ってくれます。

貢献して良い影響を与えている分量は、確実にその人の意識が所属する世界を変えてくれます。

意識の住む世界が変わってくると、自分に自信があるかどうかなどと個人的なことはあまり気にならなくなっていきます。

自分という存在が社会の公器となるので、必要とされているのは当然で、日々の活動の中で心地よく「私」が消失していきます。

これはアドラー心理学で言うとことの「共同体感覚」です。アドラーは全ての問題や悩みの源は共同体感覚の欠如にあると言っています(それは流石に言いすぎやアドラー!と私は思ってます)

世の偉人とはこういう境地ですね。

例えばソフトバンクの孫さんが、自分には価値があるだろうか…とか怯えながら気にしたりしませんよね。

ただ社会が何を必要としているか、どのように良き影響を与えられるか、自分にどういう貢献ができるか、企業価値を最大化するにはどうすればよいか? そこに集中している状態です。

個人的には私もこの境地を深めてみたいと思っています。

10)神との関係を育む

最後はスピリチュアルな領域に入っていきます。別に特定に宗教である必要はないのですが、自分の外にある大いなる何かに対して信仰心を持っている人には、静かで揺るぎない自信(確信?)のようなものを感じますよね。

自分の外にある大いなる何かとの関係において、自分が受け入れられて愛されていると感じているか。

自分の人生の方向が、日々の営みが、その存在の意図にかなっていて、応援されているように、祝福されているように感じるか。

それらが思っている以上に私達の心に影響を与えています。

それが更に深まると、何か大きなことを成そうとする時に、天や地が、自然の生命全体が、自分の味方となり後押ししてくれているような独特の感覚を感じたりします。

その時に自分の内から出てくる正解感や至福。

こういった感覚は長続きするわけではありませんが、こうった感覚によって人生の方向性の答え合わせをすることができます。個人的な体験から来るものとは違った自信や確信を得ることができます。

ただし、このスピリチュアルなテーマに関しては、他の1~9のテーマとのバランスが大切です。

例えば1の親との関係が癒えていなかったり、3の親を恥じたままにスピリチュアルな世界に傾倒すると、欲しかった理想の親の投影として神仏を見出すことになり、結果としてどこかアンバランスな印象のある不健康な人になってしまいます。

あるいは、自分の無価値感を穴埋めするための道具として普通の人ができないヒーリングを習得し、普通の人が見えないものを見るようになる人もいますが、それもやはりバランスを欠いているので注意が必要ですね。

しかし健全な土台を築いて上へと上昇して言った先のスピリチュアリティには、奇をてらうことのない自然な神々しさが宿るもので、それは普通に生きる人の正解感をいたずらに不安にしたりはしないようです。

まとめ

 

さてさて、以上ですが、いかがでしたか?

自分はここが弱いなーとか、ここは盲点だった!というところがあれば意識的に取り組んで頂いて、自信を底上げして行っていただければ幸いです。

より根源的なものからスピリチュアルなものまでを1~10と順番に書ききましたが、必ずしも順番通りに扱って行くべきということではありません。

現実の人生は道半ばでも、スピリチュアルな縁ができてそっちが急激に高まる時期もあるでしょうし、またある年齢になったら社会的な貢献というものにもっと命を注ぎたくなる時期があるでしょう。

またそうかと思えば、ふとした瞬間に人生のスピードをゆるめて自分の内面を見つめて、過去の親との関係を癒やしたいと思う時期が来たりすることと思います。

人それぞれに、今はここを触りたい、こっちを深めたいという内なる衝動が立ち現れてくると思いますので、どうぞ御自分のペースを信頼して、それに従っていただけたらと思います。

これら10の方向性で過去を解消したり高めたりするプロセスで私達の意識は自然に進化し、同じ景色が以前と違って見えるようになっていきます。

同じフィールドで以前とは違うゲームをして楽しむ。

そうやって人生を何重にでも味わい、もう出し尽くしの出がらしでこれ以上何も絞り取れないよ…となったら、その時は潔くこの人生から引退したいなと思っています。

私もまだまだ道半ばですが、人生100年時代。慌てずに楽しんで取り組んで行きましょうね。

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