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自分の中の響きに従う

みなさん、こんにちは。

今日は「響き」というものについてお話します。

このブログをお読みのHSP(Highly Sensitive Person)の方や、エンパスの方は、仕事で忙しくしたり人と関わる時間が多くなると、

自分を失ってしまったような感覚に陥ることが多いと思います。

自分の内側とつながれていないような感覚。

そして、休みを取って2日ほどゆっくり1人になってみると、ようやく内側から自分の生来の響きのようなものが現れて、ふっと元気になる。

あぁ、そうだった、これこれ。自分の感覚はこんなだった…と。

以前、カウンセリングに来られたクライアントさんにチェロの演奏に人生の多くを注いで来た方がいらっしゃいました。

私は人間の声に似たチェロの音色が好きなので、「いいですねー」と無邪気に言っていたのですが、

彼女はチェロの演奏がつらい。チェロを演奏すると調子が悪くなるとおっしゃっていました。

そして、機会を作って彼女の演奏するチェロを聞かせてもらったのですが、その姿から発する彼女の波長とチェロの男性的な響きとを目の当たりにして、

彼女の言っていることが理解できました。

自分を喪失してしまうような彼女のうつの原因の1つがわかった気がしました。

自分の響きとあまりに違うものに注いでいくことを強制された人生。

チェロは彼女の響きではありませんでした。

「私は本当はバイオリンなのにね。」と彼女は言いました。

まさに、その通りでした。

音色。

響き。

それは時に人間の本質をである『魂』の比喩として用いられたりしますが、

私はそれは比喩以上に真実に近いのではないかと思っています。

人の本質とは、魂とは、響きであり音色なのです。

だから人は恋をすると、自分の好きな音楽を相手に聞いてほしくなり、相手の聞いている音楽を知りたくなります。

それは魂と魂の、本質と本質の交換です。

またアフリカのトーゴ共和国では、赤子が生まれるとこんな儀式があると言います。

村の女性達が赤子を連れて森に行き、赤子を囲んで輪になり、その子の存在に意識をチューニングし、各々に声を発しはじめます。

そしてそんな皆の声が1つのハーモニーを生み出し、1つの音楽になっていく。

赤子の生来の響きを感じ取り、それを音色としてメロディとしてハーモニーとして、表すのです。

そして、その子が大人になるまでの間に、病気になったり道を外れた際には、また皆でその子を囲み、声を発し、そのハーモニーを奏でます。

その子の生来の響き、本質の響きへと立ち返らせることで病を直すのです。

それと同じことを私達も無意識にやっています。

休みを取って1人になり、好きな音楽や好きな本を読んでいると、自分の波長が取り戻され、そこから元気(つまり元来の氣=気質=響きです)を取り戻していくのです。

もう少しテクニカルには、雑念や思考というノイズを取り去る瞑想を通じて元来の響きを取り戻すこともできます。

そういったことをせずに、あまりに違う響きを奏で続けると、チェロ奏者の彼女のように、自分を喪失して自分の源から来るエネルギーにつながれなくなり、悪くすると病気になります。

とは言え今の生活において、自分の響き忠実なまま社会参加することは難しいと感じるかもしれません。

明るく笑顔でいる賑やかな世の中において、素の私の心のトーンは重すぎる。深すぎる。

荒々しくぶつかりあうような波長の職場の中で、私の響きは軽すぎる。繊細過ぎる。

だから、頑張って違う響きを奏でてみる。

そしてヘトヘトになって家に帰る。誰にも会いたくない。誰の響きにも影響されたくない。

一人になって開放されて、一晩眠ることで自分の響きを取り戻せるかと思えば、そうも行かず。

自分の響きが戻りきらないまま朝が来て、また違う響きを奏でに行く。

なんとこの世は生きづらいのか…。

そう思われる方も多いのではないでしょうか。

なぜ私は女性なのにこんなに重いトーンなのか…。

なぜ私はこんなに繊細なトーンなのか…。

それぞれに悩みます。

でも私は最近はこんな風にも思っています。

あなたや私の響きがどんなトーンであれ、それを持ってこの世に生まれ出てきているということは、宇宙という全体のハーモニーの一部であり、必要があるのではないかと。

それを押し殺して違うトーンを響かせるとしたら、宇宙はその完全性が損なわれ、不完全なものになってしまうのではないかと。

例えば私の魂はどこか深く静かな響きを持っていて、幼い頃は子供に似つかわしくないその響きを無意識に隠そうとしていました。

明るく無邪気な子供達の中で弾むように響き合うには、自分のトーンは静かすぎたのです。

でも、その響きを隠さずにそのトーンから流れてくる言葉を紡ぎ出すと、その文章を読んだ方が、

「あなたの文章を読んでいると心が静まって内側が喜ぶような体感がある」とおっしゃって下さったりする。

私がこの響きを持って生まれたということは、同時にそれを必要としてくれる人も存在しているのかもしれません。

それを隠さずに響かせることは、誰かへの貢献となるのではないか。

これは楽観的過ぎる期待でしょうか。

自分の響きを隠すことは世の中的な損失であり、その響きを持って生まれた以上、それを混じりっ気なく澄みきらせて、世界に響かせる役目がある。

そう思うことは傲慢でしょうか。

そして、最近はこうも思います。

昔、あの明るい世界で、自分のトーンが静か過ぎると引っ込めたのは、自分自身の遠慮であって、実際に試してみた訳ではなかった。

もしかすると、私が止めずに静かな音色を響かせていたら、あの明るい世界はもっと違った深みを得て、皆が何かもっと意義深い経験をすることができたのではないか?

これは思い上がりでしょうか。

でも、試したわけではなかったのです。

勝手にそれを止めて、あの人達が本来生きられたはずの経験を奪ったのは、私の方ではなかったのか。

今では分かるんです。

勇気を持って、人と違う自分の音色を響かせていった時にどんなことが起こるのか。

一方で、不協和音により拒絶され弾かれ、

他方で、ハーモニによって引き寄せられ響き合う。

いずれにせよ、そうやって人は自分の場所に辿り着くのです。

だから止めてはいけない。試さないと。そう思います。

自分の本質の響き。心のトーン。

あなたの深い心は内側でどんなトーンでどんな言葉を話していますか?

それを否定せずに、あなたの現実の人間関係に響かせるとすれば何が起こるでしょうか。

不協和音により弾かれて、違う場所に行かなければならなくなるかもしれません。

あるいは誰かと新しい側面で響き合い、新しいハーモニーが生まれ新しい現実が開けるかもしれません。

いずれにせよ、私達の人生はそうやって響きを外に出して初めて、動きを生み出し、歩み出すことができるもののようです。

最後に、今日のようなテーマを思うときに、私がよく自戒を込めて思い出す先人たちの言葉と詩を紹介しておきます。

『大多数の人は、静かな絶望の内に生き、

自分自身の歌を歌うこともなく死んでいきます』

ヘンリー・D・ソロー

『私は鳥のように歌いたい

誰が聴くかとか 何と思われるかを心配もせずに』

ルーミー

生きるとは響かせること。自分の歌を歌うことです。

※ 記事中のクライアント様の許可を頂いて書いております。

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